きらきらひかれ

歌って踊るって難しいね!

嵐とわたし

 

嵐のCOOL&SOULという曲の歌詞に、こんな一節があります。

いま居合わせる 君 幸せ この歴史を後世に語れるだろう?

翔ちゃん、それは大言壮語がすぎないか、と当時思ったけれど、実際に櫻井翔くん筆頭に嵐のみなさんが言う通り、私は本当に幸運にも嵐と同じ時代に居合わせたので、私が主にお茶の間から見てきた思い出語りをすることも、その歴史(のほんの一端)を後世に語ることになるんだなと、この冗長すぎる文章を書きながら思い知らされています。

 

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私が嵐の人たちを知ったのは、まだ彼らが「嵐」と名付けられる少し前でした。

世はいわゆる「ジュニア黄金期」で、タッキ―率いるジャニーズジュニアたちがゴールデンタイムに冠番組を持ったり、ミュージックステーションにバックやらメインやらで毎週のように出ている時代でした。今ほどメディアも多様化していないし、単純にその時代の流行りの存在だったので、意識せずとも彼らの姿は目に入ってくる感じだったと思います。

当時小学生の私も、仲良しの友だちとキャーキャー言いながら彼らの出る番組やアイドル誌を楽しんでいました。でも、友だちから「ジャニーズショップに行くけど誰のグッズが欲しい?」と聞かれた時に私はぜんぜん決められず、(そもそもポスターとか顔写真が載ったものを欲しいと言う気持ちが今も昔も薄い)、姉がいつだったか一番好きかも、と発言していた相葉くんにするわ、とお願いしました。おかげで私は大きめサイズの相葉くんの下敷きを手に入れたものの、相葉ちゃんの顔を敷いて文字を書く気にはなれず飾る気にもなれず、ずっとしまいこんだままで数年後どこかへ旅立ちました。

私自身はだれか特定の個人が好きだったわけではなくて、「ジュニア」という楽しそうな仲間たちが好きだったんだなと思います。その仲間たちのど真ん中にタッキ―がいて、大野くんと翔くんはお兄さんチーム、相葉二宮松本はちょっと下の弟チーム的なポジションとして、のちに嵐と呼ばれる5人を認識していました。

 

大野くんはMA(Musical Academy)というダンスが上手いお兄さんチームの一員で舞台班、でも歌も上手いからジュニアのコンサートでもソロで「朝日を見に行こうよ」とかのバラードをしっとり歌ってしまう人。

翔くんはイケてる今時のお兄さんって感じで、私の中では屋良くんとかよねっぱな(米花くん)と同じ立ち位置。

相葉くんは「スーパーアイドル相葉ちゃん」って呼ばれてて明るくて愛されてるけど、ひょろっとしてておとなしくて儚げなイメージ。

ニノは覇気のない脱力系で、ちょっとひねくれてて、ジャニーズらしからぬ短髪だったり独特な雰囲気がありました。昔の映像を今見るとちゃんとやってるんだけど(当たり前)、8時だJのイメージが強いのかも。

 松潤は、相葉くんとニノより少しだけちびっこ寄りのイメージで、斗真と同じサイズ感でした。明るくてやる気はあるけど、基本ヘタレでちょっと残念なキャラだから、お兄さんたちにいじられて、キャハキャハ笑ってるイメージ。

今の5人のお仕事っぷりと印象と比べると、みんな芯は変わってないんだけど、長い時間をかけていろいろ変化して、大きく大きく成長して、本当に素敵な大人の男性になられたんだなあと、時々グッと来てしまったりします。

 

 そんな5人の少年が「嵐」という名前でデビューします、と発表された日の朝を、私は結構はっきりと覚えています。朝起きたら、めざましテレビがハワイから中継していて、海の上をびゅんびゅん進むクルーザーに5人が乗っていて、風が強いから「嵐」って書いてある旗も5人の髪もバサバサとたなびいていました。5人の少年は揺れる船の上になんとか立っているような状態に見えました。

一般の人は、ドラマにも出て一番有名な「タッキ―」って子はいないんだね、って思っていて、8時だJとかを見ていた私などは、人気ジュニアの小原くんも翼くんもいない、相葉二宮松本とよく一緒にいた斗真もいなくて、テレビに頻繁に出ていた4人に比べて圧倒的に露出の少ない大野くんがなぜかいる、と思っていました。「なぜかいる」って本当に失礼だけど、あの頃は大野くんも「なぜかここにいます」みたいな顔していた気がします。

しかも名前が「嵐」。小学生の私も「いや嵐って・・・漢字一文字かよ・・・」とそのトンチキネームに衝撃を受けていました。今はもう慣れちゃったし良い名前だなあと本当に思うけど、先輩たちがSMAPTOKIO・V6・Kinki Kidsってずっとアルファベットで来ていたるし、当時の世間全体の風潮として英語のネーミング=かっこいい、という意識が今よりずっと強くて当たり前だったんですよね。しかも造語ですらなく、すでに存在する一般名詞の「嵐」を持ってくる、って「忍者」以来か?

今は「嵐」といえば最初に5人の顔が浮かぶけど、当時は「暴風雨」のイメージがもちろん出てくるわけで、こんなひょろっとした不安げな少年たちと「暴風雨」は全然つながらなくて、「大丈夫なのかな・・・」と子どもながらに思ったものでした。

 当時の映像を今見てみると、5人とも割と明るく元気よく受け答えをしているのですが、ハワイの海でクルーザーに乗せられて、揺れながらなんとか笑おうとしている少年たち、という記憶が強く残っていて、「(名前とかメンバーとかもろもろ)大丈夫か・・・?」という心配と、5人の頼りなさげな不安そうな表情が、グループ「嵐」の根っこのイメージとしてずっと染みついてしまっています。

 

 デビュー曲「A・RA・SHI」はワールドカップバレーの大会期間中、毎日テレビから流れていたし、その年のヒットソングにもなって、「はじけりゃYeah!」といえば「素直にGood!」って勝手に口から出るよね、という感じでした。「そうさ僕らはスーパーボーイ」っていう歌詞に、「自分で言うんかい」と盛大に笑った記憶があります。ジュニア時代のイメージ的に、翔くんがラップをやるのは違和感なかったけど、当時日本にもHIPHOPというかラップが流行り始めたころで、「ジャニーズがラップやってるよー、ウケる」という嘲笑もいっぱいありました。思春期の翔くん、めちゃくちゃ傷ついただろうなと思います(おかげで今の強くて素敵な彼がいるのだけど)。

嵐がデビューしたことで「ジュニア黄金期」は終焉を迎えた感があり、部活や勉強やらが忙しくて、私も熱心にジュニアを見ることを自然と止めていました。その後も嵐は春校バレーのテーマソングとかをやっていて、バレーボール部に入った私は嵐の曲をよく耳にしていました。中学校の運動会でダンスを踊る時もそう言えば嵐の曲でした。基本的にテレビっ子なので、テレビを通して嵐のパフォーマンスを見ていてシングル曲は全部知ってはいました。

なかでもニノ主演の『STAND UP!』が大好きで、主題歌の『言葉より大切なもの』もMV含め大好きでした。今も大好きです。いちTVドラマ好きとして、二宮和也は本当に信頼できる俳優さんです、昔から。『花より男子』は松潤が道明寺をやることよりも、井上真央ちゃんが牧野つくしをやることに興奮していました(キッズウォー世代なので)。映画『ハチミツとクローバー』のDVDを買ったのも、翔くんが主演だからではなくて、原作漫画と加瀬亮さんが好きだったからでした。(でもあの世界観の中にいた翔くん、すごく好きでした。)

 

私がグッと嵐に惹きつけられることになったのは、犬童一心監督が嵐5人の映画を撮る、と知った時でした(『黄色い涙』)。しかも映画音楽はSAKEROCKです、すごい。犬童監督の空気感が成り立つ嵐ってめっちゃ面白いじゃん、と俄然興味が沸いたし、その頃出た新曲『きっと大丈夫』がものすごく好みで、最高!と思っていました。宇多丸さんや、ダイノジノの大谷さんなど、「嵐はいいぞ」と各所でも語られるようになってきていました。そして何より当時ロッキング・オンにいらしたライターの上田智子さんが2002年から嵐を取り上げてくださっていて、2006年頃にはカルチャー誌であるCUTやHに頻繁に嵐が載るようになっていました。企画も写真もいつも素晴らしくてテキストも読み応えがあり、環境が激変する最中の嵐を定点観察してくれていました。

2002年の独自レーベル「JSTORM」設立を契機として、サブカルチャー寄りの路線になったと言われる嵐ですが、嵐5人が持っている賢さと品の良さ、柔らかいユルさ、あと内向きなナイーブな感じって、サブカルチャーとの親和性がもともと高かったんだなと思います。私はサブカルと言われるものに接近していったらその延長上に見知った顔の嵐がいて、どかーんと嵐にはまった、という感じでした。

とにかく時間だけはある大学生だったので、CDをレンタルで揃えてライブDVDを少しずつ買い揃え、24時間テレビとかの過去映像を勉強し直したのがこの頃でした。個人仕事もキャラが立ってきて(翔くんのニュースキャスターとか、相葉ちゃんの動物園とか、ニノの硫黄島とか)ブレイク前夜の気配があって、お茶の間ファンとして観察しているのがすごく面白かったです。

 何ごとも、多くの人が言葉を尽くして「〇〇とは何なのか?」と「語る」ことによって「文化」として形づくられていくと思うのですが、この頃から嵐は単に「好き」「かっこいい」と言われるだけではなく、いろんな人から「嵐とは?」と「語られる」存在になっていったように思います。それは語られるだけの材料をその頃までにたくさん蓄積してきたということでもあり、楽曲にしろコンサートにしろ5人の関係性にしろ、重ねた年数分の幅と深みが出てきていたということかなと思います。

 

そして2007年、『花男2』と『Love so sweet』あたりで、自称・事務所内ランキング8位の人たちが分かりやすく事務所から推されるようになりました。「嵐ってよくない?」「嵐いいよね」の声が大きくなっていく感じ、その注目を確固たる評価に変えようと本人たちが毎回勝負している感じ、その過程をちゃんと見ていられたのは面白かったなと思います。時代の風が吹いてくる、世間がこっちを向きはじめる、その興奮。

 どうしても嵐のコンサートに行きたい!と思った私は、高校時代のジャニ友にお願いして嵐のFCに入ってる子に繋げてもらい、奇跡的に高校の友だち4人で2007年夏、Timeコンの横浜アリーナ公演に参加することができました。初のドーム公演を4月に成功させていて、9月に予定されていた横アリ公演はドーム公演に振替のため中止になっており(当時の嵐周辺の混乱が伝わるエピソードだなと思う)、結果的に、横アリで嵐を見られる貴重な機会になりました。

日付が定かではないのですが、確か横アリラストの公演(8/1夜)に入ったので、会場中に「次にいつ横アリで嵐見られるか分かんないぞ」という危機感と寂しさが充満しており、アンコールを求める嵐コールがとにかくすごかったのです。

CDもぼやっとしてると入手できないみたいな状況に急になっていて、嵐もファンもなんか次のステップに行かなきゃいけないのか?、このコンサートが終わったらどうなっちゃんだろう?っていう恐怖とかもあって、「コンサートが終わってほしくない」っていうファンたちの気持にいつも以上の切実さがありました。嵐もその空気は強く感じていたと思います。

そしてトリプルアンコの感謝カンゲキやっても帰りたくないファンをなだめるように、嵐は「しょうがないなあ」という感じでクアトロアンコ?(というのか?)でLucky Manを投下してくれました。あのイントロ聞いた瞬間のテンションの跳ね方は尋常じゃなかったです。帰りの電車で、めちゃめちゃ楽しかったけど、アイドルとしてコンサートやる側の方が絶対楽しいよね、超気持よさそうだったもんね、と話したのを思いだします。それくらい楽しそうにやってたんだろうな、嵐。

 

 その次のツアー(ドリアラ)はドームツアーになり、嵐は、事務所の人も本人たちも予想すらしていなかったような場所までぐんぐん登っていきました。私は当時、東京ドームなんて大きすぎてコンサートを楽しめる場所じゃないと思っていたので、会場が大きくなり続ける嵐を、茶の間から楽しく眺める形が続きました。

勢いの止まらぬまま10周年を迎えた嵐は、上空の遥か高いところを安定飛行する人たちになり、それを地上から眺めている私は、ちゃんと見てなくても自然と目に入ってくるしもう大丈夫だな、という気持になり、2006年からの猛烈な嵐への熱はおさまっていきました。シングルの楽曲がタイアップ中心になって好みの曲が減ってしまったとか、嵐のテレビ番組がゴールデンにいっちゃってグダグダしなくなっちゃったとか、も要因ではあるのですが、「この人たちが最高なのはもう分かってるし、その部分はずっと変わらないから見なくても大丈夫」という謎の安心感もありました。

 

 その謎の安心感でもって2018年まで時が進み、相も変わらず嵐は、ものすごく高い所を安定して飛んでおり、顔を上げればどこにいても嵐が目に入るから、逆に目に入っていることに気付かないような状態でした。紅白でソロで司会を回すとか、尋常じゃないですよね。事務所、やりすぎだぞ。

再び「嵐の人たちを意識して見ていよう」と思ったのは、King&Princeの華々しいデビューの影響でした。久しぶりのデビュー組、ちゃんと出来あがってるけど超フレッシュなキンプリさんを見てたら、ジャニーズ内でも中間管理職みたいな立ち位置だったはずの嵐が年次的にも超ベテランなのかと気付かされました。

キンプリの力の入りまくったデビュー活動を眺めていたら、嵐のデビュー時の不安げな様子がどうしても思い出されてしまって、嵐に思いを馳せる時間が増えていきました。と思ったら我らが黄金期の「西のすばる」も「東の滝沢」も、そして相棒の今井くんまでジャニーズの表舞台を離れる事態になりました。黄金期育ちにとっては単純にただただ寂しいし、でも流れた月日を考えれば人生の次のステップなんだよね・・・と思うしかなく、ジャニーズ事務所も新しい時代だな、などと考えるようになりました。

ただ、青春を共にした仲間であるタッキ―&翼の門出を祝うために、8時だJ同窓会やらカウコンでの4TOPS再結成、嵐5人での登場(紅白早抜け)という奇跡を見せてもらったので、長く生きてるとこんな面白いことも起こるのかと感慨深かったです。

ジャニーズ全体が、時代の変化の中で変革期なんだな・・・、ジュニアがYoutubeも始めちゃうのか・・・、嵐も来年ついに20周年・・・としみじみしながら嵐やジャニーズ全体を再履修しはじめたのが2018年の後半でした。個人としても精神的に落ち込んでいてしんどい時期だったこともあり、嵐ばっかり見ながら過ごしていました。持っていない嵐のアルバムを揃え、ひとまず最新作の「Untitled」DVD(初回盤)を入手して嵐の嵐会も楽しみ、持っていないDVDは全て揃えていこうと心に誓いました。5×20ツアーの追加公演が発表され、FCに入って20周年をちゃんとお祝いしよう、ダメもとでコンサートにも応募してみようと思いながら年が暮れていきました。

 

 2019年が明けて少し経ったところで、嵐からのお知らせ。

「まさか嵐が」と思いつつ「ついに来たか」という気持でした。ここ数年他のグループの「お知らせ」もいろいろありましたが、いつも笑顔にしてくれる存在の人たちが、急にシリアスでネガティブな空気の中に立っているという状態が、とにかく嫌なんですよね。これまでの活動とか笑顔のすべてにグレーの幕が覆われるような気がしてしまう。だから記者会見があると聞いた時、そんな嵐を見せられたら心が死んでしまうなと思っていました。同時に、どうしてもシリアスでネガティブな5人の会見というものが想像できず、いつもの嵐の方向に持っていこうとするだろうな、と思うものの、ただ経緯を考えても大野くんはしんみりしちゃうよね・・・?と考えつづけていました。

記者会見は結局、5人らしい誠実なもので、嵐の賢さと強さとナイーブな優しさをあらためて思い知らされるものでした。記者会見とそのあとのMステ出演までのフォロー期間は、彼らの出した答えに対して、私は疑問も不満も一切持てないな、という境地に私を連れていってくれました。ちょっとずるいですよね、嵐。

 そこからはただ、嵐が好きだな、最高だな、本当にありがとうだよ、しか出てきませんが、いろいろ思いを馳せては泣き笑いしそうになるし、ベース音はずっと「でもとにかく寂しい」が鳴っています。

 会見の余波に揺れつづけて日付が変わったころ、私は嵐のファンクラブに加入しました。いつのまにかジャニーズは、郵便局に行って紙で振り込まなくても、ネットでさくっとFCに加入できるようになっていたのですね。年月よ。

いわゆる駆け込み新規というやつになってしまったわけですが、しょうがない。好きだとかファンであるとか、誰かに証明する必要はまったくないわけですが、「お休みします」と言われてしまったけど(から?)、ちゃんと自分は嵐のファンなんだという確固たる証明が欲しい気持になってしまったのです。いちファンとして末席から20周年をお祝いしたいです、お休みまでの嵐の全力疾走を追いかけたいです、お休みしてる間もずっと勝手に好きでいます、という宣言なんだと思います。

コンサートはもちろんスコーンと外れましたが、グッズだけでも買いに行ってお祝いに参加したいな、と言う気持でいます。

 

私は歌って踊る嵐が好きな人間なので、テレビでのパフォーマンスはリアルタイムで結構見ていたのですが、10周年以降の未見のコンサートDVDがたくさんあるので、それが今となっては良かったなと思います。何においても、好きになったタイミングが私にとってベストのタイミングだと思うタイプなので、見ていなかった分はこれからのお楽しみにします。

きっと、あの記者会見をみて嵐を好きになった人もいるだろうし、「お休みに向かう嵐」を見て好きになっちゃう人もいるだろうし、お休みしている間に好きになる人もいると思うのです。シングル、アルバム、コンサートDVD、お芝居のDVD、雑誌類、ものすごくたくさんの活動を嵐は残してくれているし、後からでも十分に楽しめます。初めて聞く嵐の曲、初めて見る嵐の姿がものすっごくたくさんあるなんて、楽しいしかないですね。

 私が高校生の頃、ある友人は尾崎豊に恋していました。リアルタイムでは経験していない世代だけど、音楽を聞き、神田の古本屋で当時の「明星」とかを読んで彼のファンをしていました。その友だちも、時空を超えてくる尾崎豊もめちゃくちゃかっこいいな、と思いました。私もインターネットを通して、山口百恵ちゃんや明奈ちゃんやキャンディーズに出会って最高だなと思うし、少年隊の踊りに惚れ惚れしています。好きになるのに、遅すぎるなんてないんですよね。好きは増えていく一方です。

ちょっとジャンルがずれますが、私は児童書のハリーポッターシリーズが出版当時から大好きで、新刊が出るたびに大喜びで読んでいました。私のハリポタはすでに完結してしまったけど、これからあの魔法の世界にまっさらな気持で出会える子どもたちが世界中にいる、そしてさらに先の未来にもたくさんいることを思うと、本当に羨ましい、良かったね!と思います。

 嵐はまだ完結していません。約2年後の「活動休止」を宣言して、そこまでの時間を一歩一歩、全力で進んでいく様子を現在進行形で見せてくれています。グループとして、けっこう遠めの位置に(一旦の)ピリオドを打ちこんでみせて、そこまでの過程をじっくり見せる人たちって、なかなかいないと思います。少なくとも私は初めて目にしています。あとから振り返ったらきっと、なかなか珍しい経験になる予感がするので、ちゃんと目を開いてじっくり見ていたいなと思っています。

 嵐というグループも彼らの足跡もきっと、ずっと先の未来とか、遠く離れたところで、誰かに発見されて、その誰かを幸せにするんだろうと想像しています。30年後とかに、嵐って曲が良いんだよね、ライブも最高だよね、とか二宮和也って昔は歌って踊ってたんだね、とか松本潤って人めっちゃキレイじゃない?、とか誰かが言ってるかもしれません。

 

その未来の誰かのためにも、いま嵐と同じ時代を生きてる私は、私が好きな嵐を文字に残しておきたいな、などと大言壮語を吐いておしまいにします。

 

 おわり