きらきらひかれ

歌って踊るって難しいね!

1年経っても好きじゃん

ちょうど一年前の2019年8月4日、六本木EXシアターで初めて生でHiHi Jetsを見ました。ライブを自分の目で見て、ああこれはHiHi Jets好きだな、私ファンなんだな、と自認してちょうど1年。このタイミングにHiHi Jetsを好きになった経緯を書いておこうと思います。

 

きっかけは嵐でした。やはり嵐。

嵐が活動休止を発表したあと、理解はしつつもその衝撃に頭がぐるぐるする中で、尊敬する先輩として嵐を挙げてくれるJr.の子たちがいることを知りました。そこで大野智の名前を挙げていたのが作間龍斗くんでした。大野くんについて「歌もダンスもすごい!」と言ってくれる後輩はたくさんいても、尊敬する先輩に名前を出すのは知念くんくらいなものです。たぶん「やる気なさそう」と言われるくらいの大野くんの独特なスタンスは、若い子たちの憧れにはなりにくいだろうなと思うので、大野くんを挙げてくれる(時に城島くんも挙げる)作間くんという子、いい子だなー嬉しいなーと同時に、珍しい子だなと思っていました。

 

〇こたつのHiHi Jets

嵐を摂取したいけど、直接的に嵐を見るのは悲しい気持ちになってしまうという状況で、私の中でジャニーズ再履修ブームが訪れ、YouTubeのジャニーズJr.チャンネルや久々の少年倶楽部を見るようになりました。そのころ、初めて見たHiHi JetsのYouTub動画(こたつでみかん剥く回、シュール)で、おもむろに肩倒立をしだす作間くんと出会います(シュール)。おそらく一番最初に見た動く作間くんがそれで、え、…いい!と思った感覚だけはっきり残っています。中学生ぐらいの頃、私も肩倒立をするのが好きでよくやっていて(たぶん首とか背中が伸びる感じとか頭に血が上る感じが気持ちよかったんだと思う)、その動画を見た頃もひっさびさに肩倒立して体の衰えを感じていたりしたので、同じことをしてる人を見てすごく親しみが湧いた、のかもしれません。なんでしょうこの話?…でも本当の話です。あと単純に、変わってる人が好き、という話でもあります。

当時はメンバーの名前ももちろん性格も年齢も知らないまま見たけれど、動画全体のハイハイの自由でゆるい感じもすごく好きで、いまも定期的に見返してしまう動画の一つです。

(※メディア上で誰かが肩倒立するところなんて、そもそも初めて見たんじゃないか?と思っていたけど、嵐のうだうだスペシャルを見てみたら若き日の翔くんがパジャマ姿でやってたので、私の嗜好は変わってないことを実感。)


HiHi Jets【超絶ボディ?】みかんを限界まで むいていくと…

 

〇踊る作間くん

初めて少クラで見た作間くんは嵐のおさがり衣装(!)を着てNEWSのKAGUYAをやっていて、一つ一つの動きが大きくて美しくて、体の動きにつられて動く衣装の布まで綺麗にたなびかせて踊るので、ああこの人のダンスは絶対に好きなやつだ…!と思ってしまいました。そこからはとにかく作間くんについて検索&情報収集を繰り返す日々が始まり、作間くんのダンスを見れば見るほど、ぎゃ!っとなるような好きポイントが発見され、こんな子が育っていたのかジャニーズ…と静かに興奮していました。踊っている映像をどこで止めても美しい、というのは少年隊の錦織一清さんの伝説ですが、わたしは大野くんの踊りも同じように思っていて、作間くんの踊りもその線上にいると勝手に思っています。私は、「この人のパフォーマンスがずっと見ていられるレベルで好き」と思えるメンバーがいないとグループにハマれない性質なので、作間くんがああいう美しい踊りをする人じゃなかったら、いくら肩倒立する姿にぐっと来たとしても、ここまでHiHi Jetsに引き寄せられなかっただろうなと思います。

今振り返って見ると、作間くんやハイハイを深堀していったのは、嵐周辺の騒がしさから離れるための行動でもあるし、嵐や大野くんを好きだという後輩を通して間接的に嵐に触れていられる、みたいな距離感を欲していたのかな~とも思います。

 

〇だぁ~くねすどらごん

時系列はもはや不明なのですが、ジャニーズ楽曲大賞の投票ツイートでだぁ~くねすどらごんがすげえぞ!と熱弁する文章がいくつか流れてきて、「猪狩って子が自作したのかあ、立派だなあ」ぐらいの情報でYouTubeを見ました。

そして文字通り頭をぶん殴られるぐらいの衝撃を受けました。

まずしょっぱなの猪狩蒼弥くん(ガリさん)がめちゃめちゃラップが上手い!!!!!やーばいじゃんこれは!ってやつです。ガリさんは当時高校1年生ですが、ジャニーズの中で上手いとかいうレベルではなく同世代のラップやる人たちの中でも上手いと思います。

ラップの好みは千差万別だし評価ポイントも好みによって違うとは思いますが、私はリズム感の良さと「何を言ってるのか聞き取れる」滑舌・発声の良さ、が気になるタイプです。ガリさんのラップはどちらの点からみても素晴らしい。私はKPOPも聞くのですが、韓国では日本よりもHIPHOPが大衆的に人気ということもあり、KPOPのアイドルグループにはほぼ必ずラップ担当がいて曲中のラップの比重も高いし、上手い子もたくさんいます。ガリさんのラップはそのあたりとまったく遜色なく、しかもまだまだ伸びしろがあり、ガリさんが韓国のYGじゃなくて日本のジャニーズにいる幸運を本当に神様に感謝したいレベルです。

ガリさんの話が長くなりましたが、続いて他メンバーのラップリレーになってもみんな上手い。聞いてて乗りにくいな、というパートがない。それが恐ろしい。これはそもそもリリックの作りが良いことに加えて、メンバーみんなのリズム感が良いこと、ジャニーズの活動で滑舌・発声が鍛えられてることも大きな要因だと思いますが、おそらくガリさんの指導が入っているしお手本にするガリさんのレベルが高いので平均値も自然と高くなっているのだと思います。

さらに各パート終わりに決めの言葉を言う形になっていて、毎回アドリブで遊びを入れてるところも小憎たらしいほどよく出来ている!このクオリティは本当に衝撃的だし、Youtubeで今見ても新鮮に感動します。


HiHi Jets「HiHi Jets 紹介ラップ」(「夏祭り!裸の少年」in EX THEATER ROPPONGI)

 とにかくありがとう、だぁどらをYoutubeに上げてくれたジャニーズ事務所の大人の誰か。その英断がなければ少なくとも今の私はいないです。これからもいろんなタイミングでハイハイに出会った人たちが、「紹介ラップ」という気やすい名前の動画を気軽にクリックし、アンファンテリブルたちの衝撃にぶっ飛ばされることでしょう。素晴らしい。曲名をかたくなに認めないところは置いといて、まじででっかい感謝、です。

この動画を見て、Jr.では完全にHiHi Jets推し!になりました。とにかくこの曲を生で聞きたい、C&Rしたい!!という気持ちが大きくなり、いわゆる「現場」に行かなければ、というモチベーションが生まれました。

 

そこからはハイハイおよびJr.界隈の知識をTwitterYoutubeで勉強する日々が始まりました。嵐や8J世代のJr.期を思い出しながら、懐かしさと新鮮さの両方が襲ってきてものすごく面白いです。

そしてお茶の間で嵐やジャニーズを楽しんできた人間が、だぁどらを生で聞きたいし作間くんのダンスを自分の目で見たい、の一心で、チケット取りに挑戦することになります。春のクリエは当日券を求めて連日電話するも負けつづけ、夏のサマステはやっと情報局に入ってチケットを申し込むも落選…(当時は勝手がわかっていなかった)。しかし幸運にもチケットを譲っていただき、2019年8月4日に通称サマステ、正式名称「パパママ一番 裸の少年 夏祭り!」という大トンチキネームの公演に参加することとあいなったのでした―。

正直な話、その日はポジショニングが悪すぎて埋もれてしまい、感想が「楽しかったけどよく分からんのでもう一回!」となりまして、結局その後2回、幸運の女神からチケットを譲っていただき、六本木EXシアターに通うことになりました…。お茶の間気質の自分にもこんなに行動力があるのかと驚きつつ、自分の目でHiHi Jetsを見て、正式に「好き」認定を下すことができました。

 

私がファンを自認した夏、ジャニーズにとっても創業者を失う激動の夏が終わり、秋にはいろんなことがあって冬ももろもろ耐え忍び、5人で過ごす2020年が始まりました。

新型ウィルスの影響で、先の見通せない前代未聞の状況になってしまいましたが、嵐にとっては5人で過ごす最後の1年であり、ハイハイにとっては5人で過ごせる再開の1年です。嵐を見送るための、寂しくて切迫した気持ちだけの2020年にならずに済んでいること、楽しそうな若い5人に、本当に勝手に感謝しています。

画面越しではありつつもまたHiHi Jetsに会える夏が来て、とても嬉しいです。心のサマーステーションに思いを馳せつつ、サマーパラダイス全力待機!しております。

(おわり)

ジャニーズJr.は伊達じゃない

 2018年3月のYoutubeでのジャニーズJr.チャンネル開設を皮切りに、滝沢社長の怒涛の仕事っぷりでJr.界隈がずいぶん賑やかになっております。面白そうな人たちは気になってしまうみ~は~気質なので、昨年終わりから私もジャニーズJr.履修中です。

前記事でも書いたとおり、私の中のジャニーズJr.のイメージはタッキ―率いる黄金期でほぼ止まっていました。

デビュー組となれば自然に仕事っぷりが目に入ってきますが、「ジャニーズJr.としての活動」をちゃんと見るのは約20年ぶり(!)です。20年前は私自身が子どもだったので社会人の今と比べてJr.を眺める視点自体が違うし、時代そのものの変化も大きくあるのですが、見れば見るほど、いまのジャニーズJr.って大変だな~~!!(すごいな・・・!)と思わされます。努力する彼らがキラキラしてて魅力的なことは変わらないですが、昔よりもずっと大変そう、に見える。正直、不憫だなと思ってしまう瞬間もあります。

何が違って見えるのか、ざっくりとまとめてみました。ここでいう「昔」というのは嵐がジャニーズJr.だった約20年前くらい、を指しています。その間の変遷は詳しくないのでざっくりとした感想としてお読みください。

 

①グループ体制が強まっている

昔からユニットはあったけど、雑誌に出る時やバックに付くときの単なるくくり、という印象でした。ダンスのレベルとかサイズ感が同じ子たちが一括りにされる、みたいな感じで、衣装もみんな同じデザイン(デザインと言うか、ただのシャツとかだけど)で色でちょっと違いを出す(メインは赤、お兄さん組は青、ちびっこ黄色、とか)程度でした。そう考えてみると、今の少年忍者(25人所属!)がそのまま昔のジャニーズジュニアの形に近い気がします。ひとつの集団の中に、ハンドマイクを持つメイン・ちびっこ・アクロバット組、などに色分けされてる感じ。立ち位置的に川崎皇輝くんがタッキ―、みたいな。本人の中に大人が入ってそうな所も似ている。

いつからグループ制が強化されたのか分からないんですが、Jr.時代に結成したグループでそのままデビューまで行ったのはKAT-TUNが最初でしょうか?黄金期にジャニーズJr.というブランドが確立してJr.単体でも稼げるようになっていき、Jr.の構造自体が変わっていってるんだなと思います。デビュー前にグループ活動を始めるようになってきて、現在はジャニーズJr.ブランド強化の方針により、グループ戦国時代の感があります。

※ユニットとグループの厳密な違いが分からないのですが、ここでは「オリジナル曲」を持つかどうか(あり:グループ、なし:ユニット)で区別して呼び分けることにしています。

当時ジャニーズJr.で東京ドーム公演とかしていたけど、あくまでタッキ―のカリスマ&知名度と、集団の総合力勝負のお祭りでした。グループがない分、今より個人は立っていたのかもしれません。

今はJr.内グループに所属してるか、無所属か、でまず大きな線引きが入るように見えます。「無所のJr.」って言葉はいつからあるんだろう。すごい言葉ですよね。本来ジュニアの所属は「ジャニーズJr.」という集団以外にはないやんと思うけど、これだけグループ単位で仕事されると本人たちもグループへの帰属意識が強くなってしまうわけで、「無所属」という言葉の存在とその響きの心許なさが、今の子たちの大変さを表してる気がしてちょっと切なくなります。

でもそのグループ編成も、やはりJr.なので割と変動があるわけで、本人も応援する側も、あくまでデビューまでは個人戦なんだという意識は完全に捨てられません。でも所属するグループ(とそこにいる自分)を守るためには、グループとしての人気と魅力を高めて大人が簡単に手だしできないようにしたいから、グループとしての向上も必要・・・。それこそYoutubeチャンネルはグループ戦で、グループ内のポジションとかバランスを考えてやってるのが伝わってきます。

Jr.のうちにオリジナル曲や衣装(しかもお金がかかっている)があるのもすごいなと思うのに、さらに単独公演もしちゃうじゃないですか、しかも兄組は横アリとかで。少クラで1曲パフォーマンスするのと、自分たちだけで2時間くらいお客さんを楽しませるのってぜんぜんレベルが違う話で、グループとしての魅せ方を考えつつソロもあったりするわけで…いや求められるレベルの高さよ。もはや「デビュー」とは?

でも与えられたハードルを越えつづけていかないと先が開けないわけじゃないですか、でそのハードルを一緒に越えた仲間と絆が生まれちゃうのは当たり前じゃないですか。でもその頑張って作った形とか絆は、いつ大人にぐしゃってされるか分からないじゃないですか(泣)。いやー、しんどい。

突き詰めたらどうしたってしんどい状況なので、そこを考えててもしょうがない、常に全力を出して今を楽しんでやるしかない、っていう腹の据わり方が、Jr.をキラキラさせるんだろうなーとは思います。刹那的な輝き。(でもそれが=若さの持つ輝きなのか?)

 グループ強化の弊害は、もちろんデビュー時に解体&合体なんかした時のネガティブインパクトが大きいのが一番ですよね。デビューまでの実験としての組み合わせなら、グループ単位で仕事をこなせばこなすほど思い出が残って残酷。

あとグループ内ポジションによって「この役割だけやっておけばOK」となると、苦手な部分を伸ばす時間が減るのかなとか。自分が一番下手くそ、という集団に入るとか、違う役割を与えられて伸びる部分もあるはずだし、あまりグループの垣根が高くなりすぎないでほしいな、とは思います。

※グループ強化の結果としてLove-tuneの全員退所という展開にもなったと思うので(このニュースを知った当時はなんか分かんないけどジュニアが凄いことになってるな、と驚きました)、Love-tuneがジャニーズ退所後どうなっていくのか、外野ながらすごく興味があります。彼らが積み上げてきたスキルが活かされないのは本当にもったいないし、発揮できる場所があるといいなと勝手に願っています。 

 

②ものすごくちゃんとしている

 昔のJr.に比べて、今のJr.はちゃんとしてるなーと思います。Jr.と言っても、今は年齢の幅も広がってるから比較は難しいけど、昔は本人たちも言ってる通り「部活の延長」のノリで楽しんでる感が結構ありました。そのままテレビに出てるから、8時だJ同窓会で当時の映像を見ても受け答えがゆるいわ生意気だわ、タッキ―以外はただの子どもたちって感じで、ヒロミさんすごかったな!と思います。ニノも当時の自分の受け答えを見て「今のJr.は絶対言わないよね」と言ってる通り、今のJr.は真面目というか聡いというか、アイドルをやってることに対して自覚的なのか「部活の延長ノリ」を脱するタイミングが早いのかなと思います。ISLAND TVでちびっこたちがわいわい戯れてるのを見て、その普通の無邪気さが昔っぽくてなんか懐かしいなと思いました。

パフォーマンスも平均レベルが高くなっていると感じます。特にダンスは、習い事として小さいころからダンスをやる子どもが増えて、ダンスが昔より身近になってる影響もあると思います。ジャンプがデビューした時も、山田くんがジャニーズに入る前にダンスを習っていたと聞いて、時代だなあと思ったのですが、キンプリでは平野・高橋2名がジャニーズ入所前からダンスを習っていて、しかも高橋海人くんはコンテストに出るレベルのキッズダンサーだったわけで、がちがちのヒップホップ踊ってた子がジャニーズに来たってことがすごく面白い。踊る人が好きな私としては、がぜん注目してしまいます。そういう子と一緒に踊ってたら自然と集団のレベルも上がっていくし、Jr.になって初めて踊りを覚えた子ばかりの黄金期よりも、「踊れる子」の基準は上がってるなと思います。歌も、分かりやすく下手な子って見かけない気がします。キンプリもみんなソロパートがあって生歌で歌ってて、えらい。

 

③「アイドル的ふるまい」を内面化している

小難しい書き方しましたが、単純に「カメラアピールですごい表情作るんだなー」と思ったという話です。特に「かわいいアピール」(首こてん!、目も口もきゅるん!きゃはっ!みたいなやつ)がすごく新鮮でした。(ちなみに「ジャニーズ的カッコつけ方」のフォーマットは赤西亀梨が作ったものから更新されてない、ように見える、源流はキムタクだけど、これはまた別で書こう)

黄金期の人たちは、8時だJでバラエティを経験してるせいか、Jr.の頃から「かっこいい」よりは「面白い」を求められたと思うんですよね(じゃないとテレビに映らない)。だから未だに、タキツバも嵐もエイトも、かっこつけてキメ顔する場面になると、恥じらいが出ちゃってふざけがちだなと思うのですが、今の子たちは恥ずかしがらずバチバチに決めてくる感じがします。

話が大きくなりますが、48グループの誕生あたりから、「アイドル」という存在が市民権を得て、いまや自称すれば誰でもアイドル、という時代です。バーチャルもいるし。その中で歌と踊りのパフォーマンス以外の「アイドルスキル」というものが存在している、というのが社会認識になったんじゃないかと思っていて、いまや歌と踊りよりそのスキルの方が優先されている気すらします。歌って踊る(のが好きな)子が「アイドル」と言われていたけど、今は「アイドル」がやりたくてそのツールとして歌と踊りをしているというか。

その「アイドルスキル」とは、丁寧なファンサービスとか、カメラに抜かれた時のカメラアピールとか、キャッチフレーズをつける自己紹介とか、「キャラ」が必要だという考え方、とかです。全部、大所帯のグループの中で個人を覚えてもらうために始まった文化だと思うのですが、アイドルというのはそういう「アイドル的ふるまい」をするもんだというイメージが、男性アイドルにも浸透している印象です。

ちょっと前ならキザ、ぶりっ子(表現がすでに昭和)とか言われたポーズや表情でも「ちゃんとアイドルとしてふるまっている」として高評価を得るというか、「あざとい」という言葉のマイナスイメージがアイドルに限っては良しとされていて、男子も「かわいいキャラ」の子は「きゅるん♡」みたいな表情するもんだ、クサいセリフでもキャーって言われるならやる、という共通認識があるように思います。ちょっと前は親しみやすい、自然体のアイドルらしくないアイドルが受けたけど、今は一周回って自覚的にアイドルをする子が「意識が高い」と評価される時代なのかなと思います。

少クラも胸キュン劇場とか長尺でやりますよね、私は「胸キュン」より「面白い」が欲しい人間なのでたいがい反応に困ります。壁ドンに始まる、少女漫画的胸キュンを求める流れってどこから来てるんでしょうね?

こういうことを書いてると頭に浮かぶのはケンティーなんですが、ちょっとケンティーは突き抜けてるので評しがたい。表情で言うと、なにわ男子の大西流星くんが「かわいい」を極めていて「師匠」と呼びたくなる貫禄です。

あと「アイドル的ふるまい」として思い出すのが、なにわ男子の西畑くんとLilかんさいの西村くんのジャニーズウェブでの文章の書き方です。話題になってて覗いただけなので他のJr.の書き方と比較はできないんですが、まず分量がすごかった。内容も、何を書いたらファンの人が喜ぶかを考えて書いてる感じ、全方位に気を配っている感じがして、まだ若いのにものすごく自覚的にアイドルしてるんだなーとちょっと恐ろしさすら感じました。地頭の良い子たちなのでしょう。言及した名前がやたら関西ジャニーズになってしまったのは他意はないですが、関東以上に関西の子たちがより頭を使って活動してるように見えるのも事実です。環境的にそうならざるを得ないともいえる。

 

SNS全盛時代にアイドルでいる

ジャニーズに限らず、SNSが当たり前にある時代でアイドルやるのってめちゃめちゃ大変だろうなと思います。しかもJr.だと半分一般人だし普通の学生だったりもして、プライバシーはどこまで配慮されてるんだろうか?

デジタルネイティブ世代からしたらSNSはもう当たり前の存在なんだろうけど、写真も動画も不正確な情報もすぐに拡散する時代に、名前も顔も世間に出して若いころから生活する精神的負担は、昔よりずっと大きいんじゃないかと思ってしまいます。

Jr.の子たちもエゴサーチしてるとか、SNS見てるんだろうなと思わせる発言をしますが、ダイレクトにファンや世間の反応を見られるのはプラスになるとしても、同時に心ない誹謗中傷もあるわけで、メンタル強くないとやっていけないだろうなーと老婆心ながら心配したりします。有名人はみんなそうだとは思いますが、幼いころからストレスフルな環境にいるのは大変。

ついこないだも、フェイクニュースの「令和イレブン」が拡散した翌日に、SixTONESが「少年たち」の実演MCでそれをイジった(ことである意味けん制した)と知って、「ジャニーズ新時代」を実感しました。まあSixTONESだから出来たことではあると思うので、彼らの強さも再認識しました。

デビュー組ではありますがキンプリ岩橋くんとセクゾ松島くんのパニック障害も、こういう時代の性質と無関係ではないんじゃないかと思うので、みんなお願いだから健やかにいてくれ、と願っています。

 

 ⑤競合勢力が増えている

ネットの影響力が強くなって、ジャニーズ以外の歌って踊る人たちを目にする機会が増えました。

まずはK‐POP勢。歌と踊りの基本スキルが高いK-POP勢は、Youtube中心にネットを通じて人気が浸透して、今は一つのエンタメジャンルとして日本に定着したと思います。日本のテレビで露出せずともアリーナクラスの会場を埋めるグループもいるし、戦略としてネットでの国外への広報が強い&著作権や肖像権の意識がゆるゆるなのもあり、さくっとググった時の情報量(動画量)がジャニーズとはけた違い。

そしてLDHのトライブさんたち。初期EXILEは男らしいイメージだったけど、きれいなイケメンを増やしグループも増殖し、演技方面にも進出し、HIROさんのやり方がここまでジャニーズ的になるとはびっくりです。

ほかにも全然くわしくないけど、俳優事務所が作るグループとかいろいろいますよね。地下アイドルもいるし。

さらに若手俳優さんも、顔もスタイルも良くて演技も上手な人がいっぱいドラマや映画に出てるし、さらに歌まで歌う人もいます。2.5次元なるジャンルもあります。

ジャニーズタレントの競合相手は以前よりずっと増えているように見えるし、顔の良い子、ダンスや歌に興味がある子の選択肢はジャニーズ入所以外にもたくさんあります。K-POP好きで韓国デビューを目指してダンス習っている子もいる。金指くんが「3年A組」見て菅田くんの髪形を真似したように、菅田くんに憧れて歌も演技もやりたいと思ってトップコート行く子がいてもおかしくない。SNSで有名なイケメンになることも出来る。

そういう状況で、ジャニーズという老舗だけどかなり特殊な世界に飛び込んで頑張ってるJr.は本当にえらいなー、立派だなーと思います。他者の活動が見えているからこそ、ジャニーズ的な美意識とかジャニーズの利点にも自覚的になると思うし、そのあたりも今のJr.が「ちゃんとして見える」理由の一つかな、などと思います。

 

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ジャニーズJr.の活動を見ていると、ここがジャニーズの本丸、ジャニーズワールド・・・!とあらためて感じました。 ジャニーさんの気配を色濃く感じますね、元気そうでなにより。ひっさしぶりに少年倶楽部を見たりして、Jr.たちが先輩の曲を歌い継ぐことで、衣装も含めて伝統を引き継いでいるんだなーとしみじみ歴史を感じます。嵐もその歴史の一部なんだなって、当たり前なんだけど嵐だけ見てると忘れがちな点を思い出したりして、面白い。あと単純に、Jr.だとあらゆる先輩とお仕事をするしあらゆるグループの歌を歌うので、見てるだけでデビュー組全体のお勉強になって楽しいです。ジャニーズの好きな曲が増えるし、懐かしい歌とか嵐の歌を歌ってくれるのも超楽しい。あれもこれも歌って欲しくなる。デビュー組を応援していたら、そこまで他グループの情報とか音楽とか入ってこないんですよね。デビューしたら他グループの歌を歌う機会なんて、カウコンとかくらいだし。ジャニオタの最終地点はJr.担と聞いたことがありますが、たしかにJr.のところに来るとあらゆる先輩グループに回遊可能になることが分かりました。よく出来たシステム。

同じジャニーズの枠組の中にいるとはいえ、Jr.はジャニーさんが船長のでっかい船に乗っていて、デビュー組は独立したそれぞれの船に乗りかえて進むんだな、と思いました。Jr.時代はジャニーさんの庇護のもとであらゆるトンチキワールドを経験しながら競い合って力を蓄え、そこを卒業したら、自分の船に乗って自分たちで漕いでいって、自分たちの力で船をでっかくしていかなきゃいけない。顔が良いだけじゃやっていけない世界。頑張るのは当たり前の世界。そこで踏ん張る人たちみんなの幸せを願いたくなってしまいます。

そんな気持で聞いていると、ジャニーズJr.が浮かんでグッときてしまう翔くんのラップパート(まだ自作じゃないころ)を載せておしまいにします。誰か歌ってくれないかな。

いろんな物 ただ作られて 心もなく捨てられてく街

いつか今を振り返る 自分がここにいたと思い出して

魂で生きてたと言えるように 言えるように

君を友を愛を抱きしめてやる

嵐 SUNRISE日本

 

 

嵐とわたし

 

嵐のCOOL&SOULという曲の歌詞に、こんな一節があります。

いま居合わせる 君 幸せ この歴史を後世に語れるだろう?

翔ちゃん、それは大言壮語がすぎないか、と当時思ったけれど、実際に櫻井翔くん筆頭に嵐のみなさんが言う通り、私は本当に幸運にも嵐と同じ時代に居合わせたので、私が主にお茶の間から見てきた思い出語りをすることも、その歴史(のほんの一端)を後世に語ることになるんだなと、この冗長すぎる文章を書きながら思い知らされています。

 

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私が嵐の人たちを知ったのは、まだ彼らが「嵐」と名付けられる少し前でした。

世はいわゆる「ジュニア黄金期」で、タッキ―率いるジャニーズジュニアたちがゴールデンタイムに冠番組を持ったり、ミュージックステーションにバックやらメインやらで毎週のように出ている時代でした。今ほどメディアも多様化していないし、単純にその時代の流行りの存在だったので、意識せずとも彼らの姿は目に入ってくる感じだったと思います。

当時小学生の私も、仲良しの友だちとキャーキャー言いながら彼らの出る番組やアイドル誌を楽しんでいました。でも、友だちから「ジャニーズショップに行くけど誰のグッズが欲しい?」と聞かれた時に私はぜんぜん決められず、(そもそもポスターとか顔写真が載ったものを欲しいと言う気持ちが今も昔も薄い)、姉がいつだったか一番好きかも、と発言していた相葉くんにするわ、とお願いしました。おかげで私は大きめサイズの相葉くんの下敷きを手に入れたものの、相葉ちゃんの顔を敷いて文字を書く気にはなれず飾る気にもなれず、ずっとしまいこんだままで数年後どこかへ旅立ちました。

私自身はだれか特定の個人が好きだったわけではなくて、「ジュニア」という楽しそうな仲間たちが好きだったんだなと思います。その仲間たちのど真ん中にタッキ―がいて、大野くんと翔くんはお兄さんチーム、相葉二宮松本はちょっと下の弟チーム的なポジションとして、のちに嵐と呼ばれる5人を認識していました。

 

大野くんはMA(Musical Academy)というダンスが上手いお兄さんチームの一員で舞台班、でも歌も上手いからジュニアのコンサートでもソロで「朝日を見に行こうよ」とかのバラードをしっとり歌ってしまう人。

翔くんはイケてる今時のお兄さんって感じで、私の中では屋良くんとかよねっぱな(米花くん)と同じ立ち位置。

相葉くんは「スーパーアイドル相葉ちゃん」って呼ばれてて明るくて愛されてるけど、ひょろっとしてておとなしくて儚げなイメージ。

ニノは覇気のない脱力系で、ちょっとひねくれてて、ジャニーズらしからぬ短髪だったり独特な雰囲気がありました。昔の映像を今見るとちゃんとやってるんだけど(当たり前)、8時だJのイメージが強いのかも。

 松潤は、相葉くんとニノより少しだけちびっこ寄りのイメージで、斗真と同じサイズ感でした。明るくてやる気はあるけど、基本ヘタレでちょっと残念なキャラだから、お兄さんたちにいじられて、キャハキャハ笑ってるイメージ。

今の5人のお仕事っぷりと印象と比べると、みんな芯は変わってないんだけど、長い時間をかけていろいろ変化して、大きく大きく成長して、本当に素敵な大人の男性になられたんだなあと、時々グッと来てしまったりします。

 

 そんな5人の少年が「嵐」という名前でデビューします、と発表された日の朝を、私は結構はっきりと覚えています。朝起きたら、めざましテレビがハワイから中継していて、海の上をびゅんびゅん進むクルーザーに5人が乗っていて、風が強いから「嵐」って書いてある旗も5人の髪もバサバサとたなびいていました。5人の少年は揺れる船の上になんとか立っているような状態に見えました。

一般の人は、ドラマにも出て一番有名な「タッキ―」って子はいないんだね、って思っていて、8時だJとかを見ていた私などは、人気ジュニアの小原くんも翼くんもいない、相葉二宮松本とよく一緒にいた斗真もいなくて、テレビに頻繁に出ていた4人に比べて圧倒的に露出の少ない大野くんがなぜかいる、と思っていました。「なぜかいる」って本当に失礼だけど、あの頃は大野くんも「なぜかここにいます」みたいな顔していた気がします。

しかも名前が「嵐」。小学生の私も「いや嵐って・・・漢字一文字かよ・・・」とそのトンチキネームに衝撃を受けていました。今はもう慣れちゃったし良い名前だなあと本当に思うけど、先輩たちがSMAPTOKIO・V6・Kinki Kidsってずっとアルファベットで来ていたるし、当時の世間全体の風潮として英語のネーミング=かっこいい、という意識が今よりずっと強くて当たり前だったんですよね。しかも造語ですらなく、すでに存在する一般名詞の「嵐」を持ってくる、って「忍者」以来か?

今は「嵐」といえば最初に5人の顔が浮かぶけど、当時は「暴風雨」のイメージがもちろん出てくるわけで、こんなひょろっとした不安げな少年たちと「暴風雨」は全然つながらなくて、「大丈夫なのかな・・・」と子どもながらに思ったものでした。

 当時の映像を今見てみると、5人とも割と明るく元気よく受け答えをしているのですが、ハワイの海でクルーザーに乗せられて、揺れながらなんとか笑おうとしている少年たち、という記憶が強く残っていて、「(名前とかメンバーとかもろもろ)大丈夫か・・・?」という心配と、5人の頼りなさげな不安そうな表情が、グループ「嵐」の根っこのイメージとしてずっと染みついてしまっています。

 

 デビュー曲「A・RA・SHI」はワールドカップバレーの大会期間中、毎日テレビから流れていたし、その年のヒットソングにもなって、「はじけりゃYeah!」といえば「素直にGood!」って勝手に口から出るよね、という感じでした。「そうさ僕らはスーパーボーイ」っていう歌詞に、「自分で言うんかい」と盛大に笑った記憶があります。ジュニア時代のイメージ的に、翔くんがラップをやるのは違和感なかったけど、当時日本にもHIPHOPというかラップが流行り始めたころで、「ジャニーズがラップやってるよー、ウケる」という嘲笑もいっぱいありました。思春期の翔くん、めちゃくちゃ傷ついただろうなと思います(おかげで今の強くて素敵な彼がいるのだけど)。

嵐がデビューしたことで「ジュニア黄金期」は終焉を迎えた感があり、部活や勉強やらが忙しくて、私も熱心にジュニアを見ることを自然と止めていました。その後も嵐は春校バレーのテーマソングとかをやっていて、バレーボール部に入った私は嵐の曲をよく耳にしていました。中学校の運動会でダンスを踊る時もそう言えば嵐の曲でした。基本的にテレビっ子なので、テレビを通して嵐のパフォーマンスを見ていてシングル曲は全部知ってはいました。

なかでもニノ主演の『STAND UP!』が大好きで、主題歌の『言葉より大切なもの』もMV含め大好きでした。今も大好きです。いちTVドラマ好きとして、二宮和也は本当に信頼できる俳優さんです、昔から。『花より男子』は松潤が道明寺をやることよりも、井上真央ちゃんが牧野つくしをやることに興奮していました(キッズウォー世代なので)。映画『ハチミツとクローバー』のDVDを買ったのも、翔くんが主演だからではなくて、原作漫画と加瀬亮さんが好きだったからでした。(でもあの世界観の中にいた翔くん、すごく好きでした。)

 

私がグッと嵐に惹きつけられることになったのは、犬童一心監督が嵐5人の映画を撮る、と知った時でした(『黄色い涙』)。しかも映画音楽はSAKEROCKです、すごい。犬童監督の空気感が成り立つ嵐ってめっちゃ面白いじゃん、と俄然興味が沸いたし、その頃出た新曲『きっと大丈夫』がものすごく好みで、最高!と思っていました。宇多丸さんや、ダイノジノの大谷さんなど、「嵐はいいぞ」と各所でも語られるようになってきていました。そして何より当時ロッキング・オンにいらしたライターの上田智子さんが2002年から嵐を取り上げてくださっていて、2006年頃にはカルチャー誌であるCUTやHに頻繁に嵐が載るようになっていました。企画も写真もいつも素晴らしくてテキストも読み応えがあり、環境が激変する最中の嵐を定点観察してくれていました。

2002年の独自レーベル「JSTORM」設立を契機として、サブカルチャー寄りの路線になったと言われる嵐ですが、嵐5人が持っている賢さと品の良さ、柔らかいユルさ、あと内向きなナイーブな感じって、サブカルチャーとの親和性がもともと高かったんだなと思います。私はサブカルと言われるものに接近していったらその延長上に見知った顔の嵐がいて、どかーんと嵐にはまった、という感じでした。

とにかく時間だけはある大学生だったので、CDをレンタルで揃えてライブDVDを少しずつ買い揃え、24時間テレビとかの過去映像を勉強し直したのがこの頃でした。個人仕事もキャラが立ってきて(翔くんのニュースキャスターとか、相葉ちゃんの動物園とか、ニノの硫黄島とか)ブレイク前夜の気配があって、お茶の間ファンとして観察しているのがすごく面白かったです。

 何ごとも、多くの人が言葉を尽くして「〇〇とは何なのか?」と「語る」ことによって「文化」として形づくられていくと思うのですが、この頃から嵐は単に「好き」「かっこいい」と言われるだけではなく、いろんな人から「嵐とは?」と「語られる」存在になっていったように思います。それは語られるだけの材料をその頃までにたくさん蓄積してきたということでもあり、楽曲にしろコンサートにしろ5人の関係性にしろ、重ねた年数分の幅と深みが出てきていたということかなと思います。

 

そして2007年、『花男2』と『Love so sweet』あたりで、自称・事務所内ランキング8位の人たちが分かりやすく事務所から推されるようになりました。「嵐ってよくない?」「嵐いいよね」の声が大きくなっていく感じ、その注目を確固たる評価に変えようと本人たちが毎回勝負している感じ、その過程をちゃんと見ていられたのは面白かったなと思います。時代の風が吹いてくる、世間がこっちを向きはじめる、その興奮。

 どうしても嵐のコンサートに行きたい!と思った私は、高校時代のジャニ友にお願いして嵐のFCに入ってる子に繋げてもらい、奇跡的に高校の友だち4人で2007年夏、Timeコンの横浜アリーナ公演に参加することができました。初のドーム公演を4月に成功させていて、9月に予定されていた横アリ公演はドーム公演に振替のため中止になっており(当時の嵐周辺の混乱が伝わるエピソードだなと思う)、結果的に、横アリで嵐を見られる貴重な機会になりました。

日付が定かではないのですが、確か横アリラストの公演(8/1夜)に入ったので、会場中に「次にいつ横アリで嵐見られるか分かんないぞ」という危機感と寂しさが充満しており、アンコールを求める嵐コールがとにかくすごかったのです。

CDもぼやっとしてると入手できないみたいな状況に急になっていて、嵐もファンもなんか次のステップに行かなきゃいけないのか?、このコンサートが終わったらどうなっちゃんだろう?っていう恐怖とかもあって、「コンサートが終わってほしくない」っていうファンたちの気持にいつも以上の切実さがありました。嵐もその空気は強く感じていたと思います。

そしてトリプルアンコの感謝カンゲキやっても帰りたくないファンをなだめるように、嵐は「しょうがないなあ」という感じでクアトロアンコ?(というのか?)でLucky Manを投下してくれました。あのイントロ聞いた瞬間のテンションの跳ね方は尋常じゃなかったです。帰りの電車で、めちゃめちゃ楽しかったけど、アイドルとしてコンサートやる側の方が絶対楽しいよね、超気持よさそうだったもんね、と話したのを思いだします。それくらい楽しそうにやってたんだろうな、嵐。

 

 その次のツアー(ドリアラ)はドームツアーになり、嵐は、事務所の人も本人たちも予想すらしていなかったような場所までぐんぐん登っていきました。私は当時、東京ドームなんて大きすぎてコンサートを楽しめる場所じゃないと思っていたので、会場が大きくなり続ける嵐を、茶の間から楽しく眺める形が続きました。

勢いの止まらぬまま10周年を迎えた嵐は、上空の遥か高いところを安定飛行する人たちになり、それを地上から眺めている私は、ちゃんと見てなくても自然と目に入ってくるしもう大丈夫だな、という気持になり、2006年からの猛烈な嵐への熱はおさまっていきました。シングルの楽曲がタイアップ中心になって好みの曲が減ってしまったとか、嵐のテレビ番組がゴールデンにいっちゃってグダグダしなくなっちゃったとか、も要因ではあるのですが、「この人たちが最高なのはもう分かってるし、その部分はずっと変わらないから見なくても大丈夫」という謎の安心感もありました。

 

 その謎の安心感でもって2018年まで時が進み、相も変わらず嵐は、ものすごく高い所を安定して飛んでおり、顔を上げればどこにいても嵐が目に入るから、逆に目に入っていることに気付かないような状態でした。紅白でソロで司会を回すとか、尋常じゃないですよね。事務所、やりすぎだぞ。

再び「嵐の人たちを意識して見ていよう」と思ったのは、King&Princeの華々しいデビューの影響でした。久しぶりのデビュー組、ちゃんと出来あがってるけど超フレッシュなキンプリさんを見てたら、ジャニーズ内でも中間管理職みたいな立ち位置だったはずの嵐が年次的にも超ベテランなのかと気付かされました。

キンプリの力の入りまくったデビュー活動を眺めていたら、嵐のデビュー時の不安げな様子がどうしても思い出されてしまって、嵐に思いを馳せる時間が増えていきました。と思ったら我らが黄金期の「西のすばる」も「東の滝沢」も、そして相棒の今井くんまでジャニーズの表舞台を離れる事態になりました。黄金期育ちにとっては単純にただただ寂しいし、でも流れた月日を考えれば人生の次のステップなんだよね・・・と思うしかなく、ジャニーズ事務所も新しい時代だな、などと考えるようになりました。

ただ、青春を共にした仲間であるタッキ―&翼の門出を祝うために、8時だJ同窓会やらカウコンでの4TOPS再結成、嵐5人での登場(紅白早抜け)という奇跡を見せてもらったので、長く生きてるとこんな面白いことも起こるのかと感慨深かったです。

ジャニーズ全体が、時代の変化の中で変革期なんだな・・・、ジュニアがYoutubeも始めちゃうのか・・・、嵐も来年ついに20周年・・・としみじみしながら嵐やジャニーズ全体を再履修しはじめたのが2018年の後半でした。個人としても精神的に落ち込んでいてしんどい時期だったこともあり、嵐ばっかり見ながら過ごしていました。持っていない嵐のアルバムを揃え、ひとまず最新作の「Untitled」DVD(初回盤)を入手して嵐の嵐会も楽しみ、持っていないDVDは全て揃えていこうと心に誓いました。5×20ツアーの追加公演が発表され、FCに入って20周年をちゃんとお祝いしよう、ダメもとでコンサートにも応募してみようと思いながら年が暮れていきました。

 

 2019年が明けて少し経ったところで、嵐からのお知らせ。

「まさか嵐が」と思いつつ「ついに来たか」という気持でした。ここ数年他のグループの「お知らせ」もいろいろありましたが、いつも笑顔にしてくれる存在の人たちが、急にシリアスでネガティブな空気の中に立っているという状態が、とにかく嫌なんですよね。これまでの活動とか笑顔のすべてにグレーの幕が覆われるような気がしてしまう。だから記者会見があると聞いた時、そんな嵐を見せられたら心が死んでしまうなと思っていました。同時に、どうしてもシリアスでネガティブな5人の会見というものが想像できず、いつもの嵐の方向に持っていこうとするだろうな、と思うものの、ただ経緯を考えても大野くんはしんみりしちゃうよね・・・?と考えつづけていました。

記者会見は結局、5人らしい誠実なもので、嵐の賢さと強さとナイーブな優しさをあらためて思い知らされるものでした。記者会見とそのあとのMステ出演までのフォロー期間は、彼らの出した答えに対して、私は疑問も不満も一切持てないな、という境地に私を連れていってくれました。ちょっとずるいですよね、嵐。

 そこからはただ、嵐が好きだな、最高だな、本当にありがとうだよ、しか出てきませんが、いろいろ思いを馳せては泣き笑いしそうになるし、ベース音はずっと「でもとにかく寂しい」が鳴っています。

 会見の余波に揺れつづけて日付が変わったころ、私は嵐のファンクラブに加入しました。いつのまにかジャニーズは、郵便局に行って紙で振り込まなくても、ネットでさくっとFCに加入できるようになっていたのですね。年月よ。

いわゆる駆け込み新規というやつになってしまったわけですが、しょうがない。好きだとかファンであるとか、誰かに証明する必要はまったくないわけですが、「お休みします」と言われてしまったけど(から?)、ちゃんと自分は嵐のファンなんだという確固たる証明が欲しい気持になってしまったのです。いちファンとして末席から20周年をお祝いしたいです、お休みまでの嵐の全力疾走を追いかけたいです、お休みしてる間もずっと勝手に好きでいます、という宣言なんだと思います。

コンサートはもちろんスコーンと外れましたが、グッズだけでも買いに行ってお祝いに参加したいな、と言う気持でいます。

 

私は歌って踊る嵐が好きな人間なので、テレビでのパフォーマンスはリアルタイムで結構見ていたのですが、10周年以降の未見のコンサートDVDがたくさんあるので、それが今となっては良かったなと思います。何においても、好きになったタイミングが私にとってベストのタイミングだと思うタイプなので、見ていなかった分はこれからのお楽しみにします。

きっと、あの記者会見をみて嵐を好きになった人もいるだろうし、「お休みに向かう嵐」を見て好きになっちゃう人もいるだろうし、お休みしている間に好きになる人もいると思うのです。シングル、アルバム、コンサートDVD、お芝居のDVD、雑誌類、ものすごくたくさんの活動を嵐は残してくれているし、後からでも十分に楽しめます。初めて聞く嵐の曲、初めて見る嵐の姿がものすっごくたくさんあるなんて、楽しいしかないですね。

 私が高校生の頃、ある友人は尾崎豊に恋していました。リアルタイムでは経験していない世代だけど、音楽を聞き、神田の古本屋で当時の「明星」とかを読んで彼のファンをしていました。その友だちも、時空を超えてくる尾崎豊もめちゃくちゃかっこいいな、と思いました。私もインターネットを通して、山口百恵ちゃんや明奈ちゃんやキャンディーズに出会って最高だなと思うし、少年隊の踊りに惚れ惚れしています。好きになるのに、遅すぎるなんてないんですよね。好きは増えていく一方です。

ちょっとジャンルがずれますが、私は児童書のハリーポッターシリーズが出版当時から大好きで、新刊が出るたびに大喜びで読んでいました。私のハリポタはすでに完結してしまったけど、これからあの魔法の世界にまっさらな気持で出会える子どもたちが世界中にいる、そしてさらに先の未来にもたくさんいることを思うと、本当に羨ましい、良かったね!と思います。

 嵐はまだ完結していません。約2年後の「活動休止」を宣言して、そこまでの時間を一歩一歩、全力で進んでいく様子を現在進行形で見せてくれています。グループとして、けっこう遠めの位置に(一旦の)ピリオドを打ちこんでみせて、そこまでの過程をじっくり見せる人たちって、なかなかいないと思います。少なくとも私は初めて目にしています。あとから振り返ったらきっと、なかなか珍しい経験になる予感がするので、ちゃんと目を開いてじっくり見ていたいなと思っています。

 嵐というグループも彼らの足跡もきっと、ずっと先の未来とか、遠く離れたところで、誰かに発見されて、その誰かを幸せにするんだろうと想像しています。30年後とかに、嵐って曲が良いんだよね、ライブも最高だよね、とか二宮和也って昔は歌って踊ってたんだね、とか松本潤って人めっちゃキレイじゃない?、とか誰かが言ってるかもしれません。

 

その未来の誰かのためにも、いま嵐と同じ時代を生きてる私は、私が好きな嵐を文字に残しておきたいな、などと大言壮語を吐いておしまいにします。

 

 おわり

はじめのごあいさつ

 

自分の好きなものを、好きなんですと人に伝える練習をしようと思い、

ブログをはじめてみました。

 

歌って踊る人たちのこととか、歌わずに踊る人たちのこととか、

踊るように歌う人たちのことなんかを書くんじゃないかと思います。

映画やドラマや本の話もするのかもしれません。

 

熱しやすく冷めやすい性格ですが、

「嫌い」より「好き」が多い人間だと思うので、やってみます。

 

嵐がお休みを宣言してから2ヵ月ちょっと、

新しい年号「令和」が発表されて3日、平成が終わるまであと二十日と少しです。